38年ぶりやぁ・・・・・・!!!
歴史の扉を開いた
阪神タイガースが1985年以来、38年ぶり2度目の日本一に輝いた。阪神では08年以来の指揮を執った岡田彰布監督(65)が卓越したチームマネジメント力、采配力を発揮。チームを18年ぶりリーグ優勝から一気に日本一まで導いた。タイガースの長い歴史でも選手で日本一、監督で日本一を初めて達成。
最高の笑顔で岡田監督が高々と5回舞った。タイガースにとって38年ぶりの日本一。あれから長い時間が経過していた。「27歳だったんですけどね前回。長かったですね。選手でも日本一を達成できて監督で日本一達成できて本当に幸せ」。65歳の指揮官はこの瞬間をかみしめるようにニコリと笑った。
勝負勘がさえ渡った。運命を握る第7戦先発を託したのは今季苦しんだ開幕投手の青柳だった。大一番を前に監督室に呼んで思いを伝えた。「最初と最後は青柳で締めるということ。青柳らしいピッチングをしてくれた」。6回からは中4日で伊藤将を3回行かせる総力戦でオリックスを寄せ付けなかった。
日本シリーズでは岡田マジックを連発した。第1戦での佐藤輝の二盗、移動日に不振の森下にマスコミを通じて猛ゲキ、第4戦では6月以来の湯浅を起用するなど、周囲をあっと言わせて短期決戦に弱いといわれた1次政権のレッテルもはがし取った。
昨秋の監督就任時「勝てるチームに」と誓った。1軍は勝つ場所-。その教えはリーグ優勝が決まった後も変わらなかった。9月29日DeNA戦では「お客さんにみせられへんよ」と3打席凡退した森下を途中交代。森下はベンチで悔し泣きした。2日後の10月1日広島戦では、引退試合だった一岡と対戦し見逃し三振した島田を岡田監督は厳しく叱責(しっせき)した。
「おお、怒った怒った。なんか出来レースみたいにやりよったから。(捕手の)会沢が見逃し三振した後、お尻をポーンとたたいてたからのう」
もちろん島田はわざとではない。迷いながらもファウルで粘り、最後の外角高めも際どいコース。だが、引退試合は相手の事情。143試合すべて勝つため全力を尽くせ、ポストシーズンを残すチーム全体への猛ゲキだった。
85年、選手として日本一になった。シーズンでは自己最多35本塁打も日本シリーズは打率2割2分7厘、0打点、0本塁打。それでも6戦フル出場し、緊張感、高揚感、日本一の喜びを味わった。オリックスは自身が指揮を執っていた因縁の相手だ。監督3年目の12年9月25日に「紙切れ1枚で」シーズン中に解任された。ポロシャツ姿で球場入りし、突然の通告だった。その夜、兵庫・西宮市内の行きつけの居酒屋「KENPEI」で、岡田監督は明け方近くまで悔しさを募らせていた。それから11年後の今季、リーグ優勝数日後に訪れ、白壁に大きく「優勝」とサインを書いた。その表情はとびきりの笑顔だったという。
とにかく負けず嫌い。早大時代から、ここぞの場面では必ずといっていいほど打った。ゴルフでもマージャンでも競馬でも。愛するタイガースを指揮するならなおさらだ。口下手で照れ屋な指揮官が「何とか達成できたんでね。アレのアレを。ファンのみなさんの声援のおかげ」とお立ち台で虎党に感謝した。指揮官復帰を後押しした阪急阪神HD角会長は「2年勝ったら(監督交代は)微妙ですよね」とニヤリ。来季2年契約2年目の最終年だが、球団史上初の2連覇を達成すれば、ひょっとして…。
12球団最年長監督による長期政権だってあり得る。
来年も『アレやぁ』
知らんけど・・・