蕎麦の語源
どうして「そば」というのか?
皆様ご存知でしょうか?
本日は【蕎麦】について・・・
お話を・・・
ソバの実の形は、ほぼ三角形で、大きさは小さいながらも角ばっています。
物の角が尖ったことを「稜(そば)」といい
ソバの実は稜形であることから「ソバムギ」と呼ばれたといわれています。
「シバムギ」と呼ばれたのは、小麦や大麦と区別するためだったともいわれています。
また、果皮が黒褐色なためえ「クロムギ」との異名もあります。
「ソバムギ」がソバと略してよばれるようになったのは
室町時代からだと考えられています。
「蕎麦」という漢字をあてられたのは一説によると
12世紀以降の事といわれています。
江戸時代以前にはそば粉に熱湯を加えてかき混ぜた「そばがき」が一般的でしたが
江戸時代以降 は今のように細く切られるようになりました。
またこの時期に蕎麦の栽培がはじまったことが書籍から分かり
平安時代には和歌として詠まれています。
ただ美味しさではなく、飢饉などに備えてのものでした。
蕎麦は飢えを凌ぐ非常食?
食べ方としては他に粉にして
練って作る蕎麦がき
水で溶いて焼いた蕎麦焼きとして食べられるようになり
小麦粉の代用として使われるようになりました。
しかしまだ美味しさという意味ではほど遠く
飢えをしのぐためといった目的が主流となり
富裕層や貴族社会ではほとんど食べられてはいませんでした。
しかしまだ美味しさという意味ではほど遠く
飢えをしのぐためといった目的が主流となり
こうした飢えを凌ぐ目的というところがピンと来ないという方も
おられるのではないかと思いますが
これにはしっかりとした理由があるのです。
お米や小麦粉に比べ
蕎麦は荒れた地でも育ち
かつ、種蒔き後、4~5日で発芽し
30~35日目頃に開化最盛期を迎え
70~80日で収穫適期となるため
格段に早く年に2回は確実に
いや、 うまくすれば 3回収穫できるスピードフードであったのだ
この収穫スピードの理由により
蕎麦は、その後に起こる戦争による貧しさもあった昭和初期の時代も
農家さんらに、飢えを凌ぐ主食兼 非常食として食べ続けられることになったのだ。
ある意味、日本の風土にあったスーパーフードということですね。
楽常、出張そば打ち
蕎麦が麺になった時代
現在の形状に近付いたのは江戸時代で
この頃に蕎麦を麺として食べるようになり
蕎麦がきと区別するために「蕎麦切り」と呼ばれていました。
江戸時代
現在一般的に使用されている「蕎麦」という呼び方は蕎麦きりが省略されたものであり
地方によっては「蕎麦切り」の呼称が残っています。
ただ江戸時代の蕎麦は現在のように茹でるのではなく
蒸す調理法を取っていました。
理由としてはつなぎを使わない十割蕎麦は切れやすいので
切った蕎麦を蒸龍に乗せて蒸し
そのまま客に提供する形が主流でした。
今でも「盛り蕎麦」を「せいろ蕎麦」と呼ぶのはこの名残です。
そして十割蕎麦の一方で小麦粉のつなぎを加えた二八蕎麦も誕生して
こちらは蕎麦粉が8で小麦粉が2の割合で打たれた蕎麦のことを言います。
これには諸説あり名称に関しては蕎麦粉と小麦粉の割合から
または値段が16文であったことから
2×8=16の符丁からきたものという説があります。
蕎麦としての形状は整いつつありますが
驚くのはそばつゆで
この時代は今のような鰹節の出汁に醤油や味熱が加えられたものではなく
味噌がベースとして使われていました。
シンプルに「味噌だれ」と呼ばれていて
味噌に水を加えて煮詰め
布袋に入れて吊るし
垂れてきた液体を利用していました。
「たれみそ」と呼ばれて
江戸時代初期の料理本には
たれみそに大根の汁
削り節・大根おろし・あさつきを入れて
からしや野菜を加えても良いとあります。
現在陣のイメージするそばつゆとは違いますがこちらが主流でした。
また蕎麦といえば江戸っ子の食べ物という認識が強くありますが
江戸の初期では実は蕎麦よりも
うどんの方が人気がありました。
上方から伝わったうどんと薄口醤油のコンビネーションョンは
またたく間に江戸の街に広がり
ブームを築くことになったのですが
江戸本来の食べ物を求める声も少なくなく
蕎麦を【江戸のソウルフードにする!】という仕掛け人が居たとも言われています
うどんのように重たい主食とは違う提供方式で
お三時につまむようなファーストフード的になった蕎麦は
つゆにいたっても、どこまでも上方に対抗すべく、濃口しょうゆに変えられたほどです。
江戸のソウルフード「蕎麦と酒」の誕生
蕎麦の人気が高まってきたのは18世紀中ごろで
中期から後期にかけてです。
この頃になると江戸にそば屋は数えきれないほどあり
逆にうどん屋の数は激減してきました。
理由としては二八蕎麦の誕生により
蒸すから茹でる調理法がとられるようになって
本来の美味しさを味わうことができるようになったからです。
また蕎麦に人気を高めようと店側もさまざまな工夫を凝らして
今もそば屋で酒を飲むのが粋と言われているのは
蕎麦が茹で上がるまでの時間を短気な江戸っ子に楽しく過ごしてもらいたいと思い
酒を供するようになりました。
ただ蕎麦と酒というのは必ずしも相性が良い組み合わせではないと思われており
そのため酒を楽しむ人のために蕎麦を抜いた「ぬき」
蒲鉾を薄く切ってわさびと醤油を添えた「板わさ」
天ぷらの「天たね」などのメニューがありました。
いわゆるおつまみですが
どれもそば屋に常備されている食材であり
おつまみとして用意しているものではないのがポイントです。
昼間でも軽く酒が飲みたい時にそば屋に行けば
特に文句を言われることなく楽しめるので
そういった意味でも人気が爆発的に高まっていきました。
これが、今、巷で人気の「蕎麦屋呑み」のルーツと言ってイイでしょう。
昨今では、蕎麦屋も二極化してきており
昔ながらのスタイルを貫き通す蕎麦屋に対して
若い人にも蕎麦を楽しんで貰うために入り口を広げるスタイルの蕎麦屋に分かれて来ている。
その中でも
新たな味の定番を狙って
思い思いの蕎麦屋スタイルを考え
求めるのはお客様への満足という信念を持って営んでいる蕎麦屋さんの数々を
ご自分のライフスタイルで
美味しく味わって頂ければと思います。
百あれば、百の蕎麦の味がある。
それが、SOBAUCHI楽常の追い求める
これからの【蕎麦スタイル】です。
昔ながらのスタイル&新しい味のスタイルを打ちだしてる
お店が・・・・
大阪府の河内長野市にある
蕎麦博
私は・・・
【あつもり】が好きです。
ぜひご賞味下さい。