世界一!!!
「WBC」(ワールド・ベースボール・クラシック/World Baseball Classic)は「WBSC」(世界野球ソフトボール連盟)が公認する野球の世界一決定戦。第1回大会は2006年、第2回は2009年に行われ、これ以降は4年に1度の開催となった。だが、2021年の第5回大会は新型コロナウイルスの感染拡大で2023年に延期。次回は2026年に開催される予定となっている。
サッカーにワールドカップがあるように、野球にも世界一を決める大会があるべき……というところから立ち上がったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。もともと日本は参加しない方針だったり、さまざまな議論があった中で開催された大会というイメージだったのですが、蓋を開けてみたら各試合が大盛り上がり!
この記念すべき第一回大会で日本代表を率いたのは王貞治監督。当時メジャーリーグで活躍中だったイチロー選手や大塚晶則選手、そして日本のプロ野球界からは松坂大輔選手、上原浩治選手といった(未来のメジャーリーガー、若き日の彼ら!)スタープレイヤーたちが参加しました。
この大会には、私も当時リアルタイムでほぼ全試合を見ていたのでかなりの思い出が。第一ラウンドは二位通過、第二ラウンドも韓国に負けたり苦戦して決勝ラウンド行けるのか?という危機の中、ギリギリで通過し、準決勝で韓国にリベンジ。さらに決勝では松坂選手の好投にイチロー選手のヒット、さらにさらに川崎宗則選手が相手のキャッチャーのタッチをわずかにかわして走塁したり、と見せ場が山盛りに。
第一回大会の決勝で日本代表が素晴らしいゲームを見せたことで、WBCの認知度は日本中に知れ渡ったのでした。
(ちなみに私ごとですが、こんな盛り上がりになるとはつゆ知らず、決勝の日に結婚式を開催してしまい、私の結婚式に参列してくださった方は試合をリアルタイムで見ることができなかったのです。この場を借りてお詫び申し上げます!笑)
WBC開幕前から、話題を集めていた大谷の“起用法”。結局打者としてはDHとしてフル出場を続けながら、先発としては2試合に登板し好投。そして3月22日の決勝・アメリカ戦では、9回に「抑え」として登板し、日本チーム勝利への“最後のアウト”を勝ち取った。
大舞台でまさに“二刀流”での圧倒的な力を見せつけた大谷だが、彼の野球人生で見れば、評価された時期よりも、「そんなの無理だよ」と馬鹿にされてきた時間のほうがずっと長い。それでも大谷が投打どちらかに専念するのではなく、二刀流での挑戦を続けたのには、根底に「野球を楽しむ」という感情があり続けたからなのかもしれない。
同時に大谷は、このようにも語っている。
「どのくらい打ちたいとか、いくつ勝ちたいとか、そういう気持ちはまったくありません」
成績・数字だけにこだわるのではなく、「あのフェンスを越えられるようになりたい」、「速いボールを投げたい」という“純粋な向上心”は、いつしか大きな輝きに変わっていた。WBCで優勝を飾った大谷の笑顔は、岩手の小さな球場でプレーしていた、ひとりの野球少年の笑顔そのものだったのである。
9回、マウンドに上がった大谷は併殺で2アウトを取る。そして最後のバッターとして向かい合ったのは、エンゼルスのチームメイトであり、大谷が尊敬してやまない大打者マイク・トラウトだった。運命の巡り合わせには驚かざるを得ない、美しい展開。最後は渾身のスライダーで、大谷はトラウトから三振を奪い切った。
大谷は野球を始めた幼少期から、ずっと勝ち続けてきた選手ではない。小学生の頃は全国大会への出場の切符を逃し、その悔しさを糧に成長し続けた。その時に抱いたのは「もっともっと上がいるんだな」という思いだったという。
時を経て、プロに上がり、“二刀流”の鳴り物入りでメジャーリーグへ。エンゼルスに入団した2018年の大谷が語っていたのは、トラウトをはじめとした、チームメイトへの“尊敬”だった。
「ウチ、すごいので(笑)。トラウト選手も、見ただけですごいでしょ。(中略)野球やっていてものすごく楽しいし、ベンチで見ていても楽しい。そんなの、すごく幸せじゃないですか」
さらに上へ、さらなる高みへ――。常におごらず、過信せず、周囲から学ぶ姿勢を忘れない。そんな大谷が、決勝戦前の“声出し”で見せた「憧れるのを辞めましょう。今日は僕たちは超えるために来た。トップになるために来た」という演説は、感動的でさえある。
トラウトに投げた最後の一球。そこには大谷の尊敬と決意が、込められていたのかもしれない。
メンバー全員が『野球小僧』
小僧・・・ショウヘイ・オオタニ 最高でした3150
次回は・・・
ダルビッシュジャパン?
ショウヘイジャパン?
3年後が楽しみです!!!